図書館について
内田樹先生のブロゴス記事
以下は,本当に同意。自分は,無人の閉架書庫をうろつくと時間を忘れて,下手をしたら閉館時間まで居座ってしまう。
しかし,ブロゴスのコメント欄をみると同意している人が全くいない。そんなもの税金でやる必要がないとか,自分の趣味は自分でやってくれとか...
本(知識)に対するメンタリティーが全くちがうことに驚かされる。
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僕にとって「懐かしい図書館」というのはいずれもほとんど人がいない空間です。たぶん人がいない、静まり返った空間でないと書物がシグナルを送ってくるという不思議な出来事が起きにくいからだと思います。
ほんとうにそうなんです。
本が僕に向かって合図を送ってくるということがある。でも、それはしんと静まった図書館で、書架の間を遊弋しているときに限られます。
そういうとき、僕は自分がどれくらい物を知らないのかという事実に圧倒されています。どこまでも続く書棚のほとんどすべての書物を僕は読んだことがないからです。この世界に存在する書物の99.99999・・・%を僕はまだ読んだことがない。その事実の前にほとんど呆然自失してしまう。でも、それは別にだから「がっかりする」ということではないんです。僕の知らない世界が、そしてついにそれについて僕が死ぬまで知ることのない世界がそれだけ存在するということに、「世界は広い」という当たり前の事実を前にして、ある種の宗教的な感動を覚えるのです。
そして、これらの膨大な書物のうちで、僕が生涯に手に取るものは、ほんとうに限定されたものに過ぎないのだということを同時に思い知る。
でも、それらの書物は、それだけ「ご縁のある本」だということになります。
そう思って、書棚の間を徘徊していると、ふとある書物に手が伸びる。かろうじて著者名には見覚えがあるけれど、どんな人で、どんなことを書いたのか、何も知らない。そういう本に手が伸びる。そして、そういう場合には、高い確率で、そこには僕がまさに知りたかったこと、そのとき僕がぜひとも読みたいと思っていた言葉が書かれている。ほんとうに例外的に高い確率で、そうなんです。
カネカ,パタハラで炎上
カネカ,パタハラで炎上してますね。
私の予想
・中途採用Aさん,あまり会社にあわず?退職・起業を考える。(奥さんの消されたツィートから)
・上司の評価もイマイチに(もともとそうだった?ニワトリと卵ですね)
・Aさん,会社を辞める前に大企業勤務の美味しいところはすべて利用しようと,住宅ローン申請,育休利用
・上司,転勤であわよくば退職をするように,育休復帰直後に転勤命令でプレッシャーかける。
・Aさん,あっさり退職,しかし,有給消化,ボーナスゲットは蹴られる。
・Aさんの奥さん,ツイッターで暴露
今ここ
上司のコメント見ると,もう少しAさんは会社にしがみつくと予想してたっぽい。
日本の大企業サラリーマンの首は法律で手厚く守られているので,その副作用ですね。解雇規制がなければ,すでにAさんは何ヶ月分かの給料を手切れ金に解雇されていたでしょう。
ただ,有給を消化させず,退職日を指定するのは法律違反の模様?
みなさん,ご存じのとおり労働基準局に駆け込んでも,何もしてくれない。
カネカは,Aさんに有給とボーナスを渡さなかった(懲罰)のため,多大な損害を受けることになった。まあ,Aさんだけ特別扱いしたら示しがつかないよな。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5cf88290e4b0e3e3df151ac8
初体験から10年経つのに妻とのその行為が未だに上達しない
以下,コピペです。
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初めて妻とその行為を行ったのは、いまからちょうど10年前の今頃の季節だった。
当時は東京と神戸との間での遠距離恋愛だった。お互いに学生でお金もなく、年に数回程度の会える日を楽しみに、毎日のようにアルバイトに勤しみ旅費を貯めた。片道5,000円の夜行バスに乗り、夜は一泊1,000円ちょっとのネットカフェで過ごしていたが、そんなものは全然苦にはならかった。
ただ切り詰めても資金には限りがあり、一度の旅で会えるのは数日間しかなかった。電話やメールは毎日のようにしていたけれど、この機会を逃せば手を握ったり髪を撫ぜたり出来るのは、何ヶ月も先になってしまう。ひとつでも恋人らしい行為をしてみたかったのだと思う。妻に申し出たとき、何もこんなところで、と困惑されたが、遠くから来てくれたのだし仕方ないかと思われたのか、根負けしたのか、不承不承ながらも体を許してくれた。
まだ肌寒さの残る公園のベンチで、私は明らかに興奮していた。
下半身に掛かる吐息、肌のぬくもり。私も妻も、異性とそうした状況になるのは初めてのことだった。明らかに妻は怯えていた。しかし冷静さを失っていた私は、妻の体が自分のものと異なることを考慮せず、いつも自分で行なう時と同じ感覚で妻の体の中をかき混ぜた。妻は悲鳴をあげ、かなりの量の出血をさせてしまった。
10年経ったいまでも、その時の記憶から妻は私のことを警戒している。
遠距離恋愛から近距離恋愛、そして同棲、結婚したいまとなっては、ぐんと回数も増えた。いまでは週に1回は行っているにもかかわらず、未だに妻は私のことを信じてくれない。
よそのご家庭ではどうかわからないが、我が家ではお風呂上がりに行なうことが多い。髪を乾かした後の、上気した妻の頬に垂れている髪を耳にかけ、溜まってるんじゃない?と囁く。いいよ自分でするもんと言い張る妻に、甘い言葉を囁き拝み倒して、妻の体を押し倒す。
入り口の柔らかい部分を左手で優しくつまんで軽く引っ張り、良く見えるように姿勢を整える。まずは緊張を解きほぐすためにも、外側の部分から攻めていく。右手に手にした棒で、襞の間を刮げていった後、妻の内側を目指す。
ひとこと、中に挿れるよとは言うのだが、何もしないうちから既に妻の体は強張っている。お願いだからゆっくりね!と繰り返す妻の体にゆっくりと挿入していくものの、妻の体は震えている。大丈夫、大丈夫と妻を宥めながら奥を目指す。
そんなに奥はやめて!と妻は言うのだが、実を言うと先の部分しか入っていないことも多い。中までたどり着いた後は、時間にして1分ほど、円を動くように先端を動かす。妻はその都度ひっとしながら目をぎゅっと瞑る。ことが終わったあとは、やれやれ開放されたという表情をしているのをみると、しないほうがいいのかな、なんて思うこともある。
実際、あまり頻繁にしないほうがいい、というか全くしないほうがいいと書かれた記事も読んだ。でもエゴかもしれないが、妻と触れ合うこの時間は私にとって格別なものなのだ。ただ夫婦である以上、自分ひとり気持ちよくなっても仕方ない。だからせめて、多少なりとも上手くなりたいものだと思うのだが、妻以外の女性とそうした行為を行ったこともない。果たしてどうしたら上達するのだろうか。
本当に、耳かきは難しい。
アマゾンのフェイクレビューに踊らされ過ぎて辛い
Hideyoshiさんのブログから引用
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2000年の初めの方は、Web2.0っていう言葉が流行って、インターネットでつながった善意のレビュワーの集合が誤った情報を排除していって、正しい情報のみが残る...みたいな風潮が信じられていたんですよ。
wikipediaを成功例に出して、これは革命だって。
無料で情報発信する人たちが正しいものを作り上げていく。
そんな奇跡を可能にしたのがインターネットだって。オープンソースもそうですよね。
でも2010年以降は全く逆のことが起こります。
お金を出して意味のない記事を大量に作成し、Googleを騙して上位表示させるサイトが大量に生まれたり、
お金を出して雇った人間に満点評価のレビューを書かせ、Amazonの評価を不当に釣り上げる商品が大量発生したり、
善意の発信者の有益な情報が、悪意によって踏み散らかされ、埋もれてしまっているのが現状です。
ドラッカー「文化は人口の伸びのもっとも大きな年代によって規定される」
「文化は人口の伸びのもっとも大きな年代によって規定される」
今日の若者文化が続かないことは明らかである。
昔から、文化というものは人口の伸びのもっとも大きな年代によって規定されてきた。
今日、人口の伸びのもっとも大きな世代は若年者ではない。