大学の“くくり”はどのように生まれたのか?

 

 

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 S43年生まれの私が受験生のころはMARCHというくくりはなかった。日東駒専はあったと思う。

 東京6大学というくくりはあったが,上智ICUが入っておらず,東京6大学=上位難関大学とは言えなかった。

 中央,青学は郊外の新キャンパスに移転し,難易度が上がっていた印象がある。(現在はこの郊外移転は失敗とされている)

 

 明治と法政が格落ちしたともいえるな

教育勅語はなぜ必要か

 

教育勅語はなぜ必要か:日経ビジネスオンライン

 

 

えらい人が壇上で日の丸にぺこりとやるのが,すごく気になる。

ものには礼するのに,なぜこちら(会場の出席者)には礼しないんだろうと...

似たようなことを考えていた人いた!

「エピソード」と「エビデンス」の違い

例えば「業績の伸びが鈍い理由と対応策を検討してみてくれ」と言われたとする。まずは本当に業績が伸びていないのかどうかから確認しなければならない。上司は「業績は伸びていない」と言うが、それは一時的なことなのか、もっと重大なトレンドなのかなど生の数字を見て自分なりに判断する。その見極めがしっかりしていないと有効な対応策にはたどり着けない。

 ここでぜひ考えてみてほしいのが、「エピソード(Episode)」と「エビデンス(Evidence)」はまったく違うということだ。

 例えば、課題の実態をつかむために現場へのインタビューを重ねる。たくさんの事実や考え方が伝えられる。しかし、それだけで報告書をまとめるようでは単にエピソードを収集したにすぎない。それらの事実や考え方を裏付ける具体的な証拠、つまりエビデンスを探しだし、裏を取ってこそ真に価値のある報告書ができあがる。

 僕は、30代の頃、ゴーストライターとして日経新聞証券面の匿名コラム「大機小機」を2~3年下書きしていた。そうした経験があって今でも同コラムを愛読しているが、先日、とても感心した次のような原稿があった。

経済財政諮問会議の議事録を読んでいたら、あるテーマについてある委員が『当社ではこんなことがあった』と発言した。他の委員も『うちではこうだった』『こんな話を聞いた』などと真顔で議論している。」筆者は、「これらの委員は適性がないのでは」と訴えていた。

経済財政諮問会議は国の政策を検討する場であり、個人の体験や聞いた話を話し合う場ではない。エビデンスをベースに、国全体にこういうデータがあり、こういう統計があるから、こうすべきなのだと話し合うべきだ。自分たちの会社の話をする場ではないのだ。」

 これがエピソードとエビデンスの違いだ。エビデンスがあって初めて腹に落ちるし、目的や目標がはっきりと分かるからなにをすべきかも明確になる。

注:すみません。出典がわからなくなってしまいました。